スーパーサイヤ人の孫悟空はなぜ最強にカッコイイのか理由を考えてみよう!【ドラゴンボール】

リアルタイム世代は超サイヤ人のどこに憧れたんだろう。
「ギャップ燃え」か、それとも・・?


今日は、ドラゴンボールネタです。



(;´Д`) スーパーサイヤ人を初めて見た時の衝撃について考える!



私はフリーザ編当時、

リアルタイムでジャンプは読んでいなかったんだけど。



ちょうどフリーザ戦の最後、悟空がスーパーサイヤ人になる手前くらいからドラゴンボールZを観始めた世代である。




つまり・・。


超サイヤ人悟空 VS フリーザ


このバトルがなければ、

ドラゴンボールにハマっていたかどうかはわからなかったのだ。




(;´・ω・ `) 人生で初めて観た映画も、悟空VSクウラの「とびっきりの最強対最凶」でした。





なぜ、我々はスーパーサイヤ人をカッコいいと思ったのだろう?




鳥山先生的には、超サイヤ人のデザインは


「悟空の黒髪のベタを塗るのが面倒だから、漫画では白髪で作画可能な、設定上は金髪の最強戦士にした」


そんなミもフタもないデザイン理由だったらしいが・・。



伝説の最強戦士に覚醒し、髪を逆立てて黄金のオーラを放つってのは、やはり視覚的にはカッコ良かったのだと思う。




そして、あの穏やかだった悟空の口調が変わり、

一人称も「オラ」から「オレ」に変貌。



「オレの理性が残っているうちに、さっさと消えるんだ!!」



そういう、自分でも感情が制御できない、みたいな危うさを見せていた。



(;´Д`) ノーマル時とのギャップも、カッコ良かったんだよね多分。




でも、悟空は興奮状態になりこそすれ、

好戦的になったわけじゃなかったんだよなー。



100%のフルパワーフリーザを倒したいと思ったのは、


「戦士として悔いの無いように戦いたい」という、


やはりフェアな武闘家気質から来るものだったし。




(;´・ω・ `) 70%しか出せない状態のフリーザを急いで倒すのは、フェアじゃなかった、と。




「どうしても、クリリンのカタキを討ちたい」


「オレの一番の仲間だったんだ・・!!」


「あの地球人のように?」


「クリリンのことか・・」


「クリリンのことかーーーー!!!」




宇宙を蹂躙し、親友をも惨殺した巨悪フリーザは絶対に許せない。


崩壊寸前のナメック星から地球への移動はせず、ここで決着をつけるんだ・・。


この覚悟も、泣かせてくれるものがあったんだよね。




「穏やかな心を持ちながら、激しい怒りによって生まれた伝説の戦士」




これは、クリリンや仲間たちとのふれあいがなかったら、

悟空はスーパーサイヤ人になれなかった、ってことでもあるし。



(;´・ω・ `) 見方を変えると、フリーザを倒したパワーは「Z戦士全員で生んだ力だった」とも思えるんだよね。





視覚的なカッコ良さと、圧倒的な強さ、普段の悟空とのギャップ。



そして、

非情な戦士だと思われていた伝説のスーパーサイヤ人が、

実は仲間想いだった・・。



こういう泣けるポイントが魅力的だったとして・・。




(;´Д`) やっぱり、一番のかっこよさは、あの2つの名言によると思うんだよなあ。


悟空の名言「だから滅びた」と「命のありがたさを思い知るがいい」
これが、ナメック星編におけるスーパーサイヤ人の最強にかっこいい点だったと思う!!

フリーザ編の超サイヤ人の悟空で一番かっこいいセリフって、



やっぱり


「だから滅びた」


「命のありがたさを思い知るがいい」


この2つだったと思うんだよね。




前者の「だから滅びた」は、フリーザへの悟空の


「罪もないものを次から次へと殺しやがって・・!!」


これへの返しとして


「偉そうなことを言いやがって!」

「貴様らサイヤ人が、罪もない者を殺さなかったとでもいうのか!?」



そう言われた際、


「だから滅びた・・」

(サイヤ人は悪党だったから、因果応報を受けて滅んだのだ)

(そしてフリーザ、次は貴様の番なんだ・・!!)


こういう意味のやり取りだったと思う。




(;´・ω・) 同族だろうがなんだろうが、「悪いものは悪い」とハッキリと言い切ってくれたわけですな。




登場する前の伝説のスーパーサイヤ人は、

ベジータやギニューが語る伝説から想像すると、

恐怖と殺戮の使者みたいなイメージだった。




ベジータやフリーザ達、

戦闘力の信望者からみたら、憧れと警戒心を抱く存在だったはずである。



だが、そうじゃなかった。



いざ現れたスーパーサイヤ人は、



「なぜ、罪もない者たちを殺すんだ」


「殺戮をしているヤツらは不幸になる。結局はそいつら同士で殺し合って『だから滅びる』しかないんだよ、因果応報だ」


「貴様は・・貴様は、そうやって命乞いをした者を、一体何人殺してきたんだ!!」


「さっさと脱出したらどうだ! 生き延びて、命のありがたさを思い知れ!!」



こういうことを言う、心優しい戦士だったんだよね。




ベジータやフリーザが信じていた力とは、

まったく真逆の性質を持つ存在だったのだ。




つまり、スーパーサイヤ人とは・・。

サイヤ人編から続く、宇宙を脅かす悪を倒した存在が何だったのか、と言われれば・・。




強いヤツが弱いヤツを殺していくのを繰り返すだけの

「だから滅びた」の流れ。



その

「殺し合いの螺旋」

これを止める者のことだったんじゃないだろうか?





ベジータは

「伝説のスーパーサイヤ人なら勝てる、フリーザを殺せる!」



バーダックも

「惑星ベジータのカタキをお前が討て! フリーザを倒すんだ!!」




そうやって、力には力で敵を倒せばいい、

フリーザを超える力で殺せばいい、そう思っていた。



それに成功した後、ベジータやバーダックはどうしたかったのだろうか?


「フリーザに取って代わり、宇宙を支配する」


つまり、悪党の頭がすげ替わることでしかない。





その繰り返しが、悟空の言うところの


「だから滅びた」の運命だったのかもしれない。





だが、カカロットはそうはならなかった。


あのフリーザですら、一度は助けようとしたのだ。 



自らが放った追跡気円斬で真っ二つになったフリーザ。

悟空は、彼にわずかな気を与えて、生きる道を残した。



ベジータの願いの通り、「フリーザを倒した」が・・。

命までは奪おうとしなかったのだ。



バーダックの誇りは継いでも、遺志は継がず。

「惑星ベジータのカタキ」は討ったが、殺さなかった。




「貴様は宇宙空間でも生きていけるんだろ?」


「さっさとこの星を脱出するんだな」


「生き延びて、命のありがたさを思い知るがいい・・!!」




この言葉には、さすがのフリーザ様も返す言葉が無く、


「・・・」


と悔しそうにするばかりだった。




戦闘力で負けただけじゃない。



「命はありがたいものだ」



このスーパーサイヤ人の言葉が正しいと、


態度で認めてしまったんだよね。





(;´・ω・ `) この「・・・」こそが、フリーザが悟空に完全に敗北した瞬間だったんだな。





このシーンこそが、

「戦闘力たったの5、ゴミめ!」のラディッツ襲来から続く、強い力によって誰かが泣かされ続けるサイヤ人編~フリーザ編の流れにおいて。



主人公が強さと優しさをもって巨悪を打ちのめし、

読者はカタルシスを得る、というフリーザ編の最大のクライマックスだったんだよね。





そういうことで。


スーパーサイヤ人のかっこよさとは・・。




強さのみならず、普段との言葉遣いやビジュアルのギャップ、


冷酷な戦士のはずなのに友のために戦ったイイやつだった、みたいな泣けるところ。


これが、まずわかりやすい点。




そして、

バーダックや当時のベジータが抜け出せなかった、


「殺しをするやつは因果応報を受ける、自分より強い悪に殺されて終わる、だから滅びた」


この殺し合いの螺旋みたいな流れから抜け出し、終わらせた存在だった、ってところ。




宇宙最強の戦士は、


宇宙で一番優しい男だったんだ・・。



「優しい人間こそが、世界で一番強いんだよ、誰かを救えるんだよ」



そういう一種の寓話性みたいなもの。



これをシッカリと語ってくれたことが、


スーパーサイヤ人になった孫悟空の最強にかっこいいポイントだったんじゃないかな・・。



って、思うんだよね。




(;´・ω・ `) ヒーローは強いだけじゃアカン、優しくないとね、ってことかもしれませんな!!





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