リガントーナがダンシングブレーヴなら、子孫のキングヘイロー、スイープトウショウあたりとの絡みは無いのかな?

ウマ娘プレイ中、その66。
2023年8月。
(;´Д`) リガントーナ様に「私の身体を覚えて!」って言われた時、ドキドキした人おるやろ??
凱旋門シナリオのラスボス(?)は、
モンジューと、ヴェニュスパーク(呼びにくい)、リガントーナの3人みたいだな・・。
(;´Д`) 揉んじゅー様は元ネタそのまんまだけど、ヴェ乳スパークは何かモデルいるのかね?
リガントーナのモデルは、どうやらダンシングブレーヴらしい。
ファンの推測によると
「踊り子っぽくて、鹿毛で、凱旋門優勝馬(シリウスシンボリを倒してる)」
ってことみたいだ。
ダンシングブレーヴには、死の間際に苦痛を我慢して座り込むのを拒否し、
立ったまま亡くなったという伝説があるんだよね。
ローディング中のアレで
「リガントーナは、立ち姿が見事だ」
「練習で疲れても、簡単には座り込まないよ!」
そんなネタが出たら、元ネタ確定なんだろうな・・。
(;´・ω・ `) まあ、そんな死に際ネタをやるかどうかは微妙だが。
この凱旋門トリオもそうだが、前シナリオの三女神とかも、
キャラデザかわいいのに、競争相手としてしか出てこないのが惜しいな。
(;´Д`) 育成できずとも、ハッピーミークや、ビターグラッセ達アオハル組と一緒に、なんか「助っ人」みたいなシステムで自チームで使える新レースが出たりしないだろうか?
ダンシングブレーヴもなあ、
もしかしたら、この馬が「日本が凱旋門賞にこだわる理由」の遠因になってるんじゃないか、とも思うんだよね。
(;´・ω・ `) 突拍子もない話になるんだが、まあ聞いていただきたい。
ダンシングブレーヴが、シリウスシンボリと一緒に凱旋門賞を走って優勝したのが、1986年。
その後の日本馬の出走は、1999年のエルコンドルパサー挑戦で、13年間開いていた。
それからマンハッタンカフェ、タップダンスシチー、ディープインパクト達が、数年に1回~毎年のように挑戦するようになっていった。
(;´・ω・ `) シリウスさん~エルたその間の13年間は、謎の空白ですね。
この空白の1990年代に、一般の国民の間で知名度があった「凱旋門賞を取り扱ったモノ」といえば・・。
これは、「ダービースタリオン」と「みどりのマキバオー」だったんじゃないかな、と思う。
(;´Д`) 1990年代にゲームやったりジャンプ読んでた人は、わかってくれるかな?
ダビスタは、1990年代当時、かなりのブームになっていたようだ。
(その頃のダビスタのことは、よく知らないけど)
この競馬ゲームでの海外挑戦と言ったら、やはり「凱旋門賞」だった。
そして、ダビスタにハマっていたという「つの丸先生」が、
週刊少年ジャンプで「みどりのマキバオー」という競馬漫画を描いた。
おっさんオバさんの競馬ファンなら、
この漫画に出てた「カスケード」という馬を知ってるかもしれない。
彼が、主役ミドリマキバオーとの最後の対決、
有馬記念の最中に発病してた「マリー病」も、
ダンシングブレーヴが元ネタなんだよね、たぶん・・。
カスケードはマリー病を発症したせいで凱旋門賞を惨敗し、
2か月後の有馬記念で、主人公のミドリマキバオーに夢を託す・・
それが、漫画の内容だったけど。
1986シリウスシンボリ~1999年のエルコン挑戦までの13年に、
日本国民の中で凱旋門賞挑戦の気運を高めたのは、
やはり1990年代半ばに流行したゲームや漫画だったんじゃないか、と思うんだよなあ。
現在40代~50代の馬主さんで、凱旋門の夢を見ている人は、
こういう作品の影響が、実は大きかったりしないだろうか??
スピードシンボリ、メジロムサシが始めた凱旋門賞の挑戦は、
シリウスシンボリが繋いで、13年後のエルコンからは日本馬が継続的に挑戦するようになった。
その13年の間には、ダビスタ内で育てられた多くの馬が凱旋門に挑戦し、
TVアニメにもなった競馬漫画では、
ダンシングブレーヴと同じ病を背負った馬も、必死でロンシャンの芝を走ってました。
だから、1999年のエルコンドルパサー以降の凱旋門賞挑戦を応援する雰囲気は、
ゲームや漫画も、なんか影響があったんじゃないかな、って思うんだよね。
(;´Д`) ダビスタとカスケードが、リアル世界のサポーターポイントを増やしてたんでは、説。
その凱旋門賞を目指した漫画キャラの元ネタの一つが、
ダンシングブレーヴ=リガントーナ様だった、というわけだ。
(;´・ω・ `) そういうわけで、ウマ娘の凱旋門賞で立ちふさがってくれるキャラのモデルがダンシングブレーヴってのは、何か嬉しいんだよね。
☆ウマ娘ネタ!
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