マナが無くなって妖精が消えたということは・・。
マナが回復したらまたポポイは出て来れるの??
今日も、レトロゲームの名作・聖剣伝説2について語ってしまうよ。 昨日は「子午線の祀り」を聴きつつ、マナの剣の勇者、神獣、要塞について考えた。 そしたら、思ったことがある。 実は、ランディとプリムはいつかポポイに会えるんじゃないか・・と。
エンディング前後の会話をそのまま捉えたら、マナが消滅したので、人間と妖精族とは会えなくなる。 ということなのだが。 本当にそうかと言えば、たぶん違うんではないか。 昨日の考察では、ラストバトルで神獣を倒した後の展開。 「神獣の破片が雪に変わっていく・・」 この流れは、神獣の破片がマナとなって世界に降り注いだ・・。 ということだったんだ、と考察しました。 つまり。 「神獣は、世界で減少したマナを回復させる唯一の存在」 コレの真の意味は・・。 「雪になって降り注ぎ、マナを回復させる」 という意味だったのではないだろうか!? 神獣の破片からできた雪は、エンディングで全世界に降り注いでるし。 そうとしか思えない。 実際。 オープニングで語られる神話時代や、マンダーラのびでいおで語られてた時代も、そうやってマナを回復したのではないのか? ゲーム内の登場人物は誰も知るよしもなかったけど。 聖剣の勇者たちが数々の試練を乗り越え、愛と勇気をもって要塞と神獣に打ち勝てるなら、マナは回復するだろう。 ・・そういう神話時代からのシナリオがあった、ということですね。 するってーと、アレだ。 マナの要塞のせいでマナは枯渇してしまってはいるけど、神獣の雪が降ったおかげで、いずれ回復するってことじゃないの? なら、そのうち妖精族もまた元気に姿を見せる、ということなのでは?
最後から二番目の真実=神獣は雪になってマナを回復した。じゃあ、最後の真実は?
リンク
全世界に雪が降りながらのスタッフロール中の曲名は・・。 「最後から二番目の真実」でありました。 (;´・ω・) 二十世紀のSF小説のタイトルからきてますね。 その真実とは何だったのか、を勝手に考えるとすると・・。 前項で考察した通り。 実は、神獣を倒すとマナ再生の道が永遠に失われるのではなく。 神獣はマナを枯渇させる存在を滅ぼした後・・。 聖剣の勇者に倒されるか、自発的に雪になってマナを回復する存在。 ・・コレこそが、最後から二番目の真実。 じゃあ、最後の真実は何かっていうと。 「妖精族は消えたけど、消えたまんまじゃないよ」 「マナが雪となって降り注いだし、マナは次第に回復するんだ」 「だから、きっと、いつかまた会えるよ」 コレこそが、聖剣伝説2の最後の真実じゃないのかな? つまり。 ランディとプリムとポポイはそのうち再会できると思うんだけどな。 1年後か、10年後かは知らないけど。 (;´・ω・ `) どうかなー?
☆他の聖剣伝説ネタ!
リンク