マキバオーとサトミアマゾンの勝負は、菊花賞が最後だと思われてるけど実は違う?
対戦成績はマキバオーの2勝1敗じゃないのかも・・。
また、マキバオーネタを語ろう!! 今回は、ドバイワールドカップ~最終回の間の空白。 つまり1997年の春~1999年の年末までの間のことを考察します!!! 劇中では一切語られてないけど、 実はミドリマキバオーとサトミアマゾンが、 菊花賞の後に再戦しているのでは? ・・ということについてです! ミドリマキバオーとカスケードがダービーを獲ったのは、1996年でした。 そして、菊花賞はアマゴワクチンが勝ち、サトミアマゾンはそこでJRAの芝GIへの挑戦を終える。 マキバオーとサトミアマゾン、このライバル同士の闘いも、菊花賞で終わり・・。 ・・だと思われてますね。 でも実は、1996年の菊花賞から2年半~3年後くらい。 1999年のダイオライト記念、帝王賞、マイルチャンピオンシップ南部杯で。 ミドリマキバオーとサトミアマゾンが激突している可能性があるのです!!!! 今回は、それを考察していきましょう!! (;´・ω・ `) 緑魔牙王は、ダートにも挑戦していた!!??
アマゾンは1997年の帝王賞と南部杯を勝っている。
1999年にマキバオーがそれらに出ているということは・・?
続編の「たいようのマキバオー」において、菊花賞の後のアマゾンに触れられていました!! アマゾンは、みどりのマキバオーの最終回の2年前、1997年に。 「現表記で4歳時に、1997年にGI認定された帝王賞と、マイルチャンピオンシップ南部杯を勝った」と。 アマゾンは芝の3歳クラシックで好走した後、ダートGIを次々に獲っていった! 名実ともに、地方競馬の英雄となったわけです! サトミアマゾンは10歳まで現役を続けたとも言われている。 その後もダートのGI戦線で活躍したであろうことは、疑いの余地がありません!!! たいようで「10歳まで南関の守護者だった」とも言われていますしね! つまり、主に南関東のGIで、何年も走り続けたのだ!! 1998年、1999年、2000年・・。 フェブラリーステークスに出たかどうかはわかりませんが。 地方の川崎記念や東京大賞典には、何年にも渡って出走したことでしょう! そんなサトミアマゾンが獲ったのが明確とされる、1997年の帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯! 順当に考えて、その後も連覇、3連覇を目指して出走してると思いますよね!? そうすると、ヤツとぶつかっていることになるんですよ。 芝馬のハズのミドリマキバオーとね!!! 1999年の帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯には・・。 ミドリマキバオーが出走しているのですから!! これは、みどりのマキバオーの最終回付近、ブリッツが勝った有馬記念の時に判明しています。 マキバオーは1997年春のドバイワールドカップにて、エルサレムとの決戦レースの際に故障。 骨折してしまい、予後不良一歩手前の状態で2年間休養しましたが・・。 1999年の3月、現表記6歳時に復帰することになります! 復帰初戦が、なんと船橋のダイオライト記念で8着。 次に、大井の帝王賞で11着。 その後が、盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯で6着。 ・・休養明けとはいえ、惨敗続きです。 ブリッツ特集がされてる新聞を読んでるゲーハーからも、悲しい評価をもらいます。 「マキバオー。がんばって欲しいけど、馬券は買えないよ・・」 「復帰して3戦が8・11・6着。しかも地方のダート戦で・・」 「2年前に、マキバオーとブリッツの対決が観たかった・・」 ってね。 マキバオーの連載当時の時期的に、多少設定の混乱があります。 マキバオー最終回の時点で、1999年のダイオライト記念やマイルチャンピオンシップ南部杯がただのオープン戦扱いだったり。 続編では、1999年のマイルチャンピオンシップ南部杯がGIだったり。 ブリッツの勝った有馬が「ジャパンチャンピオンシップ」といった名前になっていたけど、続編では「有馬記念」に戻ってたり。 続編や現実との設定の齟齬こそあるものの・・。 あのミドリマキバオーが、帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯。 地方のダート交流GIに出走していたことは間違いがないのです。 となると、菊花賞の後。 最大で3回、マキバオーとアマゾンは闘っている可能性がある!! 現実だと、ダイオライト記念は1998年から、船橋のGIIになってます。 南船橋の奇蹟・サトミアマゾンが出走している可能性は高い! なんといっても、アマゾンは船橋競馬場への愛に溢れてますからね! JRA勢を迎え撃つため東京大賞典、川崎記念へと出走し・・。 フェブラリーSは回避して、ダイオライトから始動したかもしれない! 結果はアマゾンが完勝して1着、マキバオーは8着。 1999年の帝王賞も、宝塚記念と同様、上半期の総決算的なレース! サトミアマゾンは本気で獲りに来るでしょう。 そこでアマゾンが連対、マキバオーは11着。 そして、1999年のマイルチャンピオンシップ南部杯。 アマゾンの本命は東京大賞典かもしれませんが、一度獲っているレース。 3連覇、あるいは隔年の勝利を目指して出走の可能性もかなりあります。 ここでもアマゾンが連対、マキバオーは6着。 ・・こんな流れだった可能性、けっこう高いと思いませんか? 結論として。 ミドリマキバオーとサトミアマゾンは、菊花賞の後に1~3回、再戦している可能性がアリ! しかし、マキバオーは休養明けで、ダート適正も低い。 よって、ライバルであるアマゾンには惨敗している・・。 こういうことがあったんでは・・と思います!! (;´・ω・) マキバオーが惨敗してるのは哀しいけどね。
もし船橋、大井、盛岡でマキバオーと再戦していたとしたら・・。
サトミアマゾンは何を思う??
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まあ、ダートでのミドリマキバオーは実際にボロ負けしている。 そして、サトミアマゾンが出走していれば優勝、負けていても馬券内には入っているだろう。 しかし、マキバオーはレースに出ることを諦めなかった。 「何年かかっても、ターフに戻ってみせる」 具体的には、JRAの芝のGIを諦めていませんと。 ダートの適性がなかろうとあろうと、再びまともに走るため、足の具合を確かめつつ、一生懸命走っていたのだろうね。 それをサトミアマゾンはどう思っていたのだろうか。 〇1999年の帝王賞の後。 1999年の帝王賞3着馬 「クソッ・・。またアマゾンに負けた・・」 1999年の帝王賞4着馬 「で、あの白い小さいのは何なのwww」 1999年の帝王賞6着馬 「3年前のダービー馬だろ? もう終わった馬じゃん」 正木時二(アマゾンの主戦騎手) 「・・」 サトミアマゾン 「・・」 〇1999年のマイルチャンピオンシップ南部杯の後。 1999年のマイルチャンピオンシップ南部杯4着馬 「まいどまいど、やられに来てご苦労なこった!」 1999年のマイルチャンピオンシップ南部杯3着馬 「もう引退したらどうだ、白い珍獣さんよ!!」 正木時二 「・・マキバオーが有馬記念に出るなら、楽しみだな」 サトミアマゾン 「・・雰囲気が変わった。あいつ、何かやると思うぜ」 こんなやり取りがあったとしたら、微妙に熱いんだがwwww (;´・ω・ `) どーでしょうね!? 結果。 「挑戦することを諦めない」で、ブリッツの2着か3着で最終回へ。 ・・ 長くなりましたが。 ミドリマキバオーとサトミアマゾンは・・。 菊花賞の後、最大で3回再戦している可能性がある!! そうだとしたら、マキバオーはアマゾンに対して6戦2勝4敗かも? ・・ってことです! (;´Д`) そーすると、実はアマゾンの勝ち越しなのか??
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