鳥山先生ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

我々ドラゴンボールファンの中には、確固としたドラゴンスピリットがある・・と思う。


2024年3月8日。

鳥山先生が亡くなっていたというニュースがあった。



子供の頃からずっとドラゴンボールの大ファンだったので、

信じられないとしか言いようがなかった。



巨匠のご冥福を祈るとともに、なぜこんなに悲しいのかというと、

やはり「人生の一部だから」というのが大きいのだと思う。



私はフリーザ編の最後からドラゴンボールを知って、

ほとんど人造人間編からのファンみたいな感じだけど。



アニメのDBZを初めて見たのは、7歳だか8歳の頃、

ベジータが最終形態フリーザ様のシッポで宙づりにされて、背中を殴られているシーンだった。



そこで最初は

「このアニメは何なんだ? トカゲ人間が、人間の背中を殴るアニメ?」

と思ったのだが、

スーパーサイヤ人孫悟空のカッコヨサにシビれて、その後も観続けることになった。



人生で初めて買った(買ってもらった)漫画は、

ドラゴンボール25巻の「フリーザ超変身!!」



人生で初めて観た映画は、

フリーザの兄、クウラが出てくる「とびっきりの最強対最凶」



これらだったことは、良く覚えている。




何が言いたいかというと、

小学生に上がった頃から、卒業するまでの間は、

ずっとドラゴンボールとドラゴンクエスト(主に3~6)に被りつきだったわけですね。



小学生の頃に夢中だった作品というのは、

やはり大人になってからも思い入れが強いものである。



私より少し年上の世代でサイヤ人編~フリーザ編全盛の頃のファンは、

もっとドラゴンボールに対する思い入れがある気がするし。



干支が丸々一つ上、12歳年上の会社の上司でさえ、ドラゴンボールが大好きという人もいた。

彼は、ドクタースランプも全部読んでいた。



鳥山先生は、1970年~1990年代生まれの幅広い年齢層にとって、

Drスランプ、ドラゴンボール、ドラクエのキャラデザによって、

かけがえのない人だったに違いない。



それに、海外でもドラゴンボールは広く読まれているし、

最近に銭湯に行った時も、隣で湯に使っていた小学生くらいの子が「ナメック星が~」などと語っており、


「2015年以降の生まれでも、ドラゴンボールを知ってるんだな」


などと嬉しく思ったことがある。




ワンピースの尾田栄一郎さんが

「僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから」とコメントを出しておられたが、

一般人にとっても、まったく間違いではないと思う。




子供の頃に触れた作品は、確実に私たちの血肉となるのだから。


これを、個人的にはドラゴンスピリットと呼びたい気も・・する。




じゃあ、それが何なのか、というと。



鳥山先生は絵の上手さが超天才、という話はよく聞くが、


個人的には、ストーリー作りの方が天才的だったんじゃないか、と思う。




「なぜ、ドラゴンボールがヒットしたのか?」




これは鳥山先生の繊細で迫力がある絵、その要素が大きいのは疑いの余地はない。


バトル要素が、天下一武道会のトーナメントが読者にウケて人気が出たのも間違いないだろう。




だが、私は


「深刻じゃなかったから」


だと思っている。




主人公の孫悟空は、


「オッス! オラ悟空!」


「腹減ったぞ~!」


「ま、いっかぁ」


みたいに、陽気なイメージがあるかもしれない。




だが、彼は幼い頃に、サイヤ人としての本性、理性を失った大猿の姿を見せ、

育ての親を踏みつぶしてしまっていた、という悲劇の男でもあった。

そして、サイヤ人編まで、それを知らなかった。



クリリンをはじめ、仲間たちは知っている。

でも、黙っていた。

それは優しさだっただろう。



殺された悟飯じいちゃんも、それをマッタク恨みもせず、

再会した悟空に「成長したところを見れて良かった」と喜んでいた。



悟空はベジータとの最初の戦いで、自分が親殺しをしてしまったことを知ったが、



「じいちゃん。ごめんな。オラが死んだら謝りに行くよ」


「ベジータには、オラと地球の元気玉を食らわせてやる!!!」




ショックは受けても、いつまでもウジウジ悩んだりせず、

自分を愛してくれた育ての親や、

優しい仲間たちのために、地球を守ることに邁進していた。




孫悟空から教わったことは、

悲しいことがあっても、それに囚われ続けることなく、

前向きに生きていこう、って事のような気がする。





「よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む」





人生を楽しもう。

そして、悪いことはしないこと。




そういう雰囲気が作品からにじみ出ている点こそが、

全世界でドラゴンボールがヒットした最大の理由であり、

世代を超えて愛され続けている、最大の理由なんじゃないか、と思うんだよね。




鳥山先生が生み出した、そういう作品の空気は、

我々ファンの体内で、ずっと息づいていくのではないだろうか?




気の利いた言葉が出てこないが、

ドラゴンボールに会えてよかった。




最後に、もう一度、鳥山先生のご冥福をお祈りします。





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